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神戸地方裁判所 平成7年(ワ)1699号 判決

主文

一  被告は原告に対し、金五万円及びこれに対する平成八年一月一七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五〇分し、その一を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。

四  この判決第一項は、仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

一  被告は原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する平成八年一月一七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、被告発行の新聞紙上に別紙一記載のとおりの謝罪文を掲載せよ。

(なお、原告の訴状貼付の手数料用印紙費用支払の申立は、訴訟費用被告負担の申立の趣旨のものと解される。)

第二  事案の概要

本件は、原告が被告発行の新聞紙上に掲載された記事で名誉を毀損されたとして、不法行為に基づく慰謝料(付帯請求は、訴状送達の日の翌日から支払済みまでの民法所定年五分の割合の遅延損害金)の支払及び名誉回復のための謝罪広告の掲載を請求した事案である。

一  争いのない事実等

1 被告は、平成七年五月二九日発行の神戸新聞(北播版)朝刊紙上に別紙二記載のとおりの記事(以下「本件記事」という。)を掲載してこれを報道した。

2 兵庫県西脇警察署(以下「西脇署」という。)は、本件記事掲載の前日の同月二八日、被告(北播総局)を含む報道機関に対し、同署の発表として次のとおりの記載のある広報資料をファックス送信した。本件記事はこの広報資料に基づいて作成されたものである。

『指名手配容疑者の逮捕について

(一) 逮捕日時・場所

(1) 平成五年五月二八日 午前九時三〇分ごろ

(2) 多可郡中町《番地略》被疑者方

(二) 手配署

大阪府西成警察署

(三) 被疑者

住所不定(多可郡《番地略》)

甲野太郎(こうの たろう) 昭和四〇年二月一〇日生 三〇歳

(四) 犯罪事実

被疑者は、平成七年四月二二日午前二時三五分ころから同日午前九時三〇分ころまでの間、大阪市西成区《番地略》乙山二階E号室丙川春夫方において、同人所有にかかる携帯電話機(バッテリー付)一台時価合計六六、〇〇〇円相当を窃取したもの。

(五) その他

被疑者を通常逮捕後、大阪府西成警察署に身柄引渡しを行った。』

3 被告は、平成七年一二月二七日発行の神戸新聞(北播版)朝刊に、「中町の男性嫌疑なし」「大阪区検が不起訴」の見出しで、「大阪区検は二六日までに、大阪・西成署から窃盗容疑で指名手配され今年五月末、多可郡中町の実家にいたところを西脇署員に逮捕された甲野太郎さん(三〇)を不起訴処分にした。甲野さんは、大阪市内の民家に忍び込み、携帯電話を盗んだとして手配されたが、電話の持ち主が顔見知りで「貸す話もしたようだ」としたため、嫌疑なしとなった。」との記事を掲載し、平成八年一月五日付で原告に対し右記事掲載の事実を通知した。

二  争点

1 本件記事は原告の名誉を毀損するものか否か。

2 被告の本件記事の掲載は、不法行為を構成するか否か。

(原告)

原告が民家に忍び込んで窃盗をした事実はなく、原告が逮捕されたのも原告の実家ではなく西脇警察署(以下「西脇署」という。)であり、本件記事は虚偽の内容のものである。

被告は、事実関係を調査したうえで正確な報道をすべき注意義務があるのに、これを怠って本件記事を掲載したものである。

(被告)

(一) 新聞記事の報道内容はそれが真実に合致するときはもちろん、それが真実に合致することを証明できないときでも、それが公共の利害に関する事実にかかり、もっぱら公益を図る目的に出た場合には、真実であると信ずるについて相当な理由があれば不法行為は成立しない(最高裁第一小法廷昭和四一年六月二三日判決)。

(二) 本件記事に掲載されたところは、以下のとおり客観的な事実である。

(1) 本件記事は、平成七年五月二八日に西脇署が広報資料(乙一)等により発表した事実に基づき、可能な調査をしたうえ、これを要約して掲載したものであるところ、右西脇署の発表によれば、原告は大阪府西成警察署(以下「西成署」という。)より指名手配されており、手配にかかる犯罪事実は、前記一2(四)の犯罪事実のとおりのものであった。

なお、原告は、西脇署により通常逮捕された後、西成署に身柄の引渡をされている。

(2) したがって、本件記事の内容となった次の点はいずれも客観的な事実である。

<1> 原告が西成署から指名手配されていたこと

<2> 手配にかかる被疑事実が前記西脇署発表の内容のものであったこと

本件記事には、逮捕被疑事実に「午前二時三五分ころから同日午前九時三〇分ころまでの間」とあるのを「未明から朝までの間」と要約しているが、この書き換えは事実に即したものである。

また、本件記事中に「民家に忍び込んで」とある部分は、民家の意義は「人の住む家」であり、西脇署発表(広報資料)にマンションの一室の「丙川春夫方」と明記されているのであるから、住民個人の名を示さずに「民家」と書き換えることは通常行われている。

そして、「忍び込んで」とある部分は、そもそも窃盗とは他人の占有を侵害し、目的物を自己の占有に移すことであるから、他人の住居内において窃盗をすることは、「故なく人の住居に侵入する」行為を当然伴うものである(住居侵入と窃盗の牽連犯関係)。「忍び込む」とは「忍び入る」と同義であって、「人に知れないように入り込む」こと(広辞苑)であるから、他人の住居内で窃盗をする場合には、当然に忍び込む行為を伴うことになる。他人の住居に入り込む方法を問わず、居住者の同意なくその住居に立ち入ることは、「忍び込む」行為である。したがって、本件記事は西脇署の発表内容と同一性のあるものである。

<3> 右手配事実に基づき、原告が西脇署により、被疑者の実家である兵庫県多可郡《番地略》で逮捕されたこと

(三) そして、原告の逮捕は、裁判官が「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある」と認めたときに発せられる通常逮捕状(刑事訴訟法一九九条二項)によるものであり、右逮捕状が発せられた事実があれば、その逮捕状に記載された被疑事実について、裁判官がこれを疑うに足りる相当な理由があると認められたと判断するのが当然であり、被告においてこれを真実と信ずるにつき相当な理由があったというべきである。

また、犯罪に関する報道は、一般的に公共の利害に関する事実であり、かつ、公益目的に出たとみるべきことは広く認められている。

(四) したがって、被告の本件記事の掲載については、不法行為は成立しない。

3 被告に不法行為が成立する場合、原告が被告に請求し得る慰謝料の額はいくらが相当か。

(原告)

原告は、本件記事により名誉を毀損されて精神的苦痛を被ったところ、その慰謝料として五〇〇万円を請求する。

(被告)

本件記事の掲載後、被告において調査したところ、前記原告の逮捕容疑について大阪区検察庁が不起訴処分をしていること、その理由は、当初被害を申告した者が問題の携帯電話を原告に「貸す話もしたようだ」と認めた事実によることが判明したので、被告は前記のとおり被告発行の平成七年一二月二七日付神戸新聞北播版でその事実を報道し、平成八年一月五日、原告に右掲載の事実を通知した。

4 原告の被告に対する謝罪広告掲載請求権の有無

第三  判断

一  争点1(名誉毀損の有無)について

本件記事は、原告の逮捕の事実及びその具体的容疑事実並びにこれに関連する事実を内容とするものであるから、その新聞紙への掲載による報道は、原告の名誉を毀損する行為であることは明らかである。

二  争点2(不法行為の成否)について

1 名誉毀損については、当該行為が公共の利害に関する事実にかかり、もっぱら公益を図る目的に出た場合において、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、その行為は違法性がなく、また、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、いずれの場合も不法行為は成立しないものと解される(最高裁判所昭和四一年六月二三日判決・民集二〇巻五号一一一八頁参照)。

2 そして、本件記事記載の事実は、公訴提起前の犯罪行為に関するものであるから、公共の利害に関する事実に当たるものと認められ、かつ、その内容及び表現並びに新聞社の報道の社会公共性に照らし、本件記事の掲載、報道はもっぱら公益を図る目的でなされたものと推認される。

3 また、《証拠略》によれば、前記(第二、一(2))の西脇署の広報資料(乙一と同内容のもの)に犯罪事実として記載されている事実は、原告を被疑者として発せられた逮捕状記載の被疑事実であり、原告は右広報資料記載のとおり右逮捕状に基づいて逮捕されたものと認められる。

そうすると、本件記事は、その見出し部分に「指名手配の窃盗男逮捕」と記載され、原告が窃盗を犯したことを断定するような表現部分もあるが、その本文に記載されたところは、「民家に忍び込んで」の部分を除いては、概ね右被疑事実の要旨の事実で原告が逮捕された旨の内容のものであり、その限りで真実のものと認められる。

仮に、本件記事が、その見出しのため、一般読者に原告が実際に窃盗を犯した犯人であるとの印象を与えるものであったとしても、それについての真実性の証明はないが、本件記事の「民家に忍び込んで」の部分を除く部分は西脇署の発表(広報資料)に基づいて作成され、現に原告は裁判官の発した逮捕状(窃盗を被疑事実とするもの)により逮捕されていたのであり、このように、犯罪捜査に当たった警察署が捜査結果を報道機関に広報資料として発表し、その発表のとおり逮捕状による逮捕がなされているような場合には、右発表内容に疑問を生じさせるような事情がある場合には格別、そうでない限りは、当該事実を真実と信じたとしてもそれについては相当な理由があるといえる。

4 しかしながら、本件記事のうち原告が「民家に忍び込ん」だとの部分は、西脇署の発表にはなく、逮捕状記載の被疑事実にもないものである。そして、右「民家に忍び込んで」という部分は、その読者に対して住居侵入行為があったかのように印象づける表現であることは明らかであるところ、この事実については真実であることの証明はなく、被告において原告が右被疑事実の被害者方に忍び込んだ事実があったと信ずるにつき相当の理由があったものと認めるべき証拠もない。

被告は、他人の住居内で窃盗をする場合には当然に忍び込む行為を伴うことになるとして、本件記事は「民家に忍び込んで」の部分を含めて西脇署の発表と同一性がある旨主張し、《証拠略》によれば、本件記事を作成した被告の社員(記者)西田達男は、西脇署の発表にかかる原告についての被疑事件は窃盗事案で、原告が被害者の知らない間に被害品を持ち出したという意味で、慣用句的な言い回しのつもりで「民家に忍び込んで」と記載したことが認められる。

しかしながら、住居侵入は窃盗の手段的犯罪(牽連犯)ではあるが、窃盗とは別の犯罪であることはいうまでもないところであり、単なる窃盗罪と住居侵入罪を伴う窃盗罪とでは罪状が異なるものとして評価されるのが一般であるから、本件記事にかかる事実は西脇署発表の被疑事実の範囲内のものとはいい難い。

したがって、本件記事は、「調べによると」と前置きしてあたかも西脇署の捜査の結果であるかのように記載して、原告が西脇署の発表した事実にない犯罪事実(住居侵入)をも犯した容疑で逮捕されたかのように読者に印象づける内容のものというべきであるところ、右のような前置きをして個人の犯罪事実(被疑事実)に関わる事実を新聞記事として掲載する場合には、個人の名誉と信用を害することを考慮して、当該警察署の発表としてなされた事実の範囲内に止めるべきであり、右発表事実を誇張したり自己の憶測または確実でない情報等を付け加えることは許されないというべきである。

しかるに、被告の本件記事の新聞掲載の経緯は前記認定のとおりであり、被告は西脇署の発表にない「民家に忍び込ん」だとする事実を含む本件記事を掲載したものであって(被告において右事実が存在するものと考えてもやむを得ないといえるような合理的事情は何ら存在しなかったといわざるを得ない。)、被告の右記事掲載行為には過失があり、右被告の行為は不法行為を構成するものというべきである。

三  争点3(慰謝料額)について

右認定の被告の不法行為の内容、本件記事のうち原告が逮捕被疑事実の被害者宅に「忍び込んだ」とする部分以外については真実性の証明ないしそれが真実と信ずるにつき相当の理由があったと認められること、被告は、本件記事の掲載後、捜査の結果原告については本件記事に記載された全体の行為につき嫌疑なしとして不起訴処分がなされた旨の記事を新聞紙(本件記事を掲載した新聞紙)上に掲載して報道し、そのことを原告に通知したこと(前記第二、一3)、その他記録に顕れた諸般の事情を総合しん酌すれば、被告の不法行為により原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は五万円をもって相当と認める。

四  争点4(謝罪広告の掲載)について

被告が本件記事の掲載後、捜査の結果原告が本件記事全体の行為につき嫌疑なしとされた旨の記事を、本件記事を掲載した新聞紙上に掲載して報道したことは前記認定のとおりであり、その記事の内容に照らして、右記事の新聞掲載により原告の外部的名誉と信用の回復措置は一応とられたものと考えられ、それ以上に原告の名誉回復措置として原告の請求にかかる謝罪広告の必要性があるものとは認め難い。

第四  結語

以上によれば、原告の請求は主文第一項掲記の限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判官 竹中省吾)

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